身体という戦場

 相撲、サッカーという、日本の伝統競技と、世界で一番普及している競技について、続けて書いていたら、それらをつなげている選手がいることが記事に掲載されていた。
 日本代表のDF岩政である。カタール戦に途中出場した岩政は、途中出場する際、相撲の立ち合いの格好をして、股を開いて手をついてから、ピッチに飛び出したらしい。現地のメディアでは、スモウ・レスラーがいる、と書かれたらしいが、当人は、日本の伝統競技の身体技法に興味を持っており、実際、和泉流狂言師の9世野村万蔵に弟子入りしたり、白鵬の稽古を見学に行ったり、かなり本格的に研究し、取り入れいてるようだ。
 
 以前より、古武術研究家の甲野善紀氏に、野球の桑田真澄選手が指導を仰いで話題になっていたが、日本の身体技法の合理性や効果が、かなりトップ・アスリートに浸透しつつあるようだ。
 
 皮肉なのことだが、日本人が世界と戦うためには、日本人の身体的特徴を把握し、それを最大限に引き出すことが必須であり、それが日本の伝統芸能や伝統武術の価値を再発見することになっている。
 世界という土俵の中で、まさに身体こそが戦場なのだ、と実感させてくれるエピソードである。

 http://www.sanspo.com/soccer/news/110124/scc1101240504000-n1.htm

関西人とサッカー

 昨日の試合も含めて、昨年のワールドカップ以来、日本サッカーのステージが一段階上がったのではないかと誰もが感じていることだろう。
 かつてのような、試合直前に逆転されたり、パス回しに終始したり、決定力が決定的に不足したり、という日本サッカーの弱点が徐々に解決されているように思えるからだ。
 
 昨年のワールドカップでも思っていたことだが、国内のサッカーの地域勢力も変わってきているのではないかと思っている。つまり、日本では、静岡県がサッカーの盛んな地域でレベルが高いというのが常識だったが、近年は関西勢の活躍が目覚しく、今年の高校サッカーの全国優勝も兵庫県滝川二高だった。

 今回、サッカーで得点を取っている、岡崎、香川、本田、前田は皆関西勢である。それ以外も西側の選手の活躍が目覚しい。サッカーとは、コミュニケーションのゲームであるとともに、いかにおいしいタイミングを逃さないか、という瞬時のかけあいが重要になる。海外に出たときの外国人選手とのコミュニケーション能力にも関係するだろう。
 
 その上で、日頃からコミュニケーションの訓練に長けている関西勢の方が、特に得点にからむプレイに関しては向いているのではないかと思われる。ただし、守備は得意だとは思わない。
 だから、攻撃陣は関西勢、守備陣は関東勢というように実は自然になるのではないかと思っている。
 

白鵬と双葉山

 白鵬双葉山は、双葉山の持つ69連勝に白鵬が迫ったこともあり、白鵬自身が双葉山を尊敬していることを公言し、双葉山のビデオを繰りかえし見て研究していることからもよく比較される。
 残念ながら、先場所で稀勢の里に負け、双葉山の69連勝を追い抜くことはできなかった。多くの人が白鵬双葉山に並び、追い越すことを予想していたのではないだろうか。

 しかし、その後のNHKのドキュメントと、今場所、稀勢の里に負け、その次の試合も足捌きが悪くもたついたのを見て、双葉山に追いつけない理由がある程度わかった。

 白鵬双葉山の言っていた「後の先」を追及している。「後の先」とは、ボクシングで言えば、カウンターであり、後に攻めたのにも関わらず、先手を取ってよい組み手にもっていくことを言う。
 NHKのドキュメントでも詳細に分析されていたが、白鵬は下半身が強く、上半身が柔らかいので、相手の攻撃をうまく吸収しながらよい組み手にもっていくことができる。下半身は上半身の動きとは対照的にまったく動いてないことが多い。実は、それが白鵬の長所でもあり、短所にもなっているのではないかと思われる。

 なぜなら、受けるということに重点を置きすぎているために、受けずに足を主体として攻めなければならないとき、足捌きがどうも追いついていないように見えるのだ。足捌きが悪いために、足がもたつき、横からの直線的な攻撃に非常にもろい。稀勢の里戦で負けた2敗とも、組み手がとれない状態でも、横からの早い攻撃に対応できなかったところがあったように思う。

 逆に、双葉山は、先日紹介した元一ノ矢関も分析しているが、足をこまめに動かして、相手の体勢を崩すことを得意にしていたようだ。双葉山のバランスの良さは、どうやら、船頭の仕事をしていたところにあるようだが、足を使って相手をかわしたり、攻撃したりすることに長けていたようだ。

 一見、似ているように見える白鵬双葉山、実は、ある意味では対極的であり、それが2人の
強さの違いに表れているように思える。白鵬が、これから、足運びについてどれだけ、双葉山に近づけるかが、双葉山の大記録を抜けるかどうかのキーとなりそうだ。

究極の身体 (講談社+α文庫)

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パワースポットブーム来る

 昨今の不況に影響を受けてか、「パワースポット」がえらく流行している。同じく数年前から流行している「スピリチュアル」なども、英語に直しているものの、いわゆる霊性や聖地の言い換えでしかない。

 特に縁結びから、このブームは火がついたようだが、極めて原初的な形で信仰が復活しているのには不思議な感じを覚える。いよいよかつての村落共同体や地域の鎮守の神様、寺院、各家庭で行われていた儀礼が失われ、一見新しいかのような信仰ブームが訪れたわけだ。

 いわゆる高度経済成長とともに、地方から都心に出てきた団塊世代が、地域の古い風習をまったく自分達の子供に伝えてこなかったつけが、ここにきて現れている。日本の神や信仰形態は、共同体や家族を基に形成されているため、核家族のような形態になったとき、信仰のプリンシプルを理解していないかぎり、伝承されることはない。

 信仰のプリンシプルと言っても、神道には教義がなく、仏教の理解は宗派が多く、諸説あるため難しく、儒教封建制度の衰退とともに否定されている。したがって、そのような信仰観、それにともなう儀礼について、団塊世代はまったくと言っていいほど理解していないのだ。戦後民主主義教育とは、実質、神を否定した共産主義教育に近かったと言えるかもしれない。

 その子供達は、自らの運命を切り開くために、神頼みするわけだが、その中において神道に流れ込んだ仏教や儒教、そして共同体の倫理や道徳を取り戻そうという動きがないと、あまりに表層的だと言うしかない。
 そろそろ戦後民主主義幻想も崩れてきたことだし、日本の伝統について考えるいい時期かもしれない。

 

日本全国このパワースポットがすごい! (PHP文庫)

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