ジオラマ論

19世紀の機械、ジオラマ、パノラマ、写真などの視覚機器、鉄道などの高速輸送機関、郵便などのメディアなどが、いかに人間の知覚や美学を変えて行ったか。そして、機械の美学が現在にまでいかに影響を及ぼしているか。
 博物館に集約される19世紀の視覚芸術を、独自の視点と広範囲な知見を駆使して読み解いた新しい美学論。
 後半には、南島論としてバリのトランス芸術が紹介され、機械の台頭とは反動的に、植民地からの情報によって19世紀の人々があこがれた南島の美学のエッセンスが語られる。

 

ジオラマ論―「博物館」から「南島」へ

ジオラマ論―「博物館」から「南島」へ

日本・現代・美術

 90年代の美術批評を牽引してきた椹木野衣が、日本の現代美術の存在を根底から問うた記念碑的作品。
そもそも戦後、『現代美術』というジャンルが明確に輸入されないまま、前衛精神だけが歪に入ってきたため、マーケットやジャンルの確立していないところにまるで戦争画を地で行くような玉砕的闘争を現代美術家は強いられてきた。そして、その中で多くのものは敗れていった。
それを椹木を「悪い場所」と名付け、外部と非接触の「閉じられた円環」と規定した。
しかし、その「悪い場所」を逆手にとって、グローバルなマーケットに飛び出したのが村上隆である。村上に続く形で若手作家もグローバルな美術市場である程度の戦績を収めつつある今、新たな現代美術論の必要が迫られていると言える。

日本・現代・美術

日本・現代・美術


 その「悪い場所」で、サブカルチャーは多いに繁栄した。サブカルチャーはテレビと雑誌が生み出したところが大きいと思うが、テレビ登場前の日本映画も世界的な評価を勝ち得ている。
 その中で、なぜ現代美術だけが「悪い場所」になるのか?
 実際、サブカルチャーにとって「良い場所」だと自覚している村上は、そのエッセンスをグローバルなマーケットに持ち込んでいる。
 第二次世界大戦によって金持ちがいなくなったのが、そもそもハイカルチャーに属する現代美術にとって日本が「悪い場所」になったということに過ぎないのではないか。そんなふうにも思えてくる。

ヤノベケンジ 1969‐2005

1965年生まれのヤノベの幼少期から2005年までの集大成的作品集。
表紙の写真は、タンキング・マシーン。ジョン・C・リリーのアイソレーションタンクに影響受けた初期の名作。その後、ヤノベはタンクからスーツへ移行するのだが(つまり内と外が反転する)、そのことはあまり語られていないが重要なキーワードである。

ヤノベケンジ1969‐2005

ヤノベケンジ1969‐2005

と書いていたら、アマゾンの表紙の画像が、ジャイアントトらやんに変わっていた。

ペナント・ジャパン

 京都在中(当時)のアート・ディレクター、谷本研が、昭和30年代〜40年代に爆発的に流行した観光ペナントの盛衰を精密に調査しカタログ化したもの。現在40代の人ならば必ず子供部屋の薄い壁を占拠していた観光ペナントだが昭和50年代になると急速に消失していく。今やお土産物屋で、観光ペナントを見つけるのは稀だろう。
 ペナントという外来種がどこから来て、どのように根付き、どのように普及し、どのように消失していったか、忘れられた昭和のお土産の代表格を、独自の視点で調査し昭和の美術様式として再評価した意欲作。 
 観光ペナントから、昭和という時代が浮き彫りになる貴重な資料集でもある。

ペナント・ジャパン

ペナント・ジャパン

トらやんの大冒険

現代美術作家、ヤノベケンジの絵本。物語性の強いヤノベのキャラクターがついに独立した物語をつむぎ出した。
絵本のトらやんは、実物よりかわいい。
ヤノベ作風は、続きもの、なので、はまるまでには時間がかかる。だが、はまれば虜になる。
オールマイティで物を作れる技術、強い物語性は近年の作家ではまったく太刀打ちできないだろう。

トらやんの大冒険(通常版)

トらやんの大冒険(通常版)

『トらやんの大冒険』では、ヤノベ作品のキャラクターがたくさん出てくる。そんなシーンがかつてあった。金沢21世紀美術館のアーティスト・イン・レジデンスのプロジェクト『子供都市計画』である。
子供のための都市をヤノベが半年かけて、金沢21世紀美術館に作り出したのだ。
『トラやんの大冒険』は、その時の経験を隠喩的に物語化したものだろう。
是非、併せて読むことをお勧めしたい。

ヤノベケンジ:ドキュメント子供都市計画

ヤノベケンジ:ドキュメント子供都市計画