持たない人々

 先日、日経新聞に、所有をできるだけしないライフスタイルの人が増加している、という記事があった。例えば、CD等も購入してもすぐにハードディスクに複製して、モノは売ってしまったり、捨ててしまったり。あるいは、引越しする時も、家財道具を運ぶのではなく、全部掲示板を通してあげてしまったり、など。
 僕は、資料に関しては捨てられないのでそこまでではないけど、割と共感するところがある。物質に対するフェティッシュがある時期を境になくなっていっているのではないか、とも思う。
 例えば、バブル世代から上の人々は、ブランド品に価値を見出したり、モノをコレクションしたりする性癖が結構見受けられる。だが、僕は前々からそういう人々と接してきてて、そのブランド中心主義的な志向についていけなかった覚えがある。そういう人々がモノマニアックな資本主義を支えてきたのは間違いない。
 だが、そういうモノを収集するということが、情報の拡散とともにできなくなってきているということもあるだろう。
 ネットに関していえば、ブログに至る移行期において、幾つかそれを予兆するサイトが見られたが、例えば「関心空間」などは、はてなのような興味を中心としたキーワードでつながるわけではなく、明らかに愛用している商品などへのリンクによってつながる仕組みだった。
 おそらく関心空間を先導していたのは、ブランドなど商品収集をモチベーションとしている人々だろう。そのあたりは、ネット上のつながりということを先駆的にシステム化しながら、モチベーション自体が前時代的な感性に根付いていたために、いまいち浸透しなかった理由ではないか、と僕は思っている。