身に触る 気に障る

以前、僕の友人と話していたことだが、僕は他人よりも周囲の人の動きにすごく敏感である。それは最近ようやく自覚したのだが、例えば、長い道を歩いていて、後ろから人や自転車が来た場合、たいてい何人来ているか、女性か男性か、どういうタイプかわかるのだ。それは、超能力という類のものではなく、言わば気配というものだが、おそらくは動きのふり幅やリズム、振動がそれを予測させるのだろうと思っている。
だから、狭くてたくさん人がいる場所に行くと気になってしかたがない。もちろん実際に人と触れる場合もあるのだろうけど、気に障ると言った方が正確に思う。その、身体感覚を拡張したような「触る」という感覚は実は人間にとって重要なセンサーなのではないかと思っている。
いわゆる鈍感という人は、動きの面でも感覚の面でも、そのセンサーの装置がうまく働いていないのではないかと思う。僕などは勝手にその鈍感な人の動きをセンサリングして、一人でイライラしているのだから、どちらが幸せかとうと答えに窮してしまうのだが。

さて、その「触る」感覚だけれど、最近、インターネットの世界でもそれが拡張しているのではないかと思う。例えば、掲示板やブログなどに過度に批判的な意見を述べている人は、感覚が敏感で勝手に、「触られている」ように思っているのではないかと思うからである。つまり、ものすごく狭い空間で、人がたくさんいて、体がぶつかりまくっているような状態だ。だから、本当は距離を置く、ということが必要なのだろうと思う。それと同時に、インターネットの世界をもっと複雑で、隠れ場所がいっぱいあるようにしていくことも必要なのかもしれないと思う。

どちらにせよ、インターネットの現象を、インターネットのみで語るのではなく、一度、身体感覚に戻してみると意外とわかることもあるのではないだろうか。

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