フラット化しない世界

NHKスペシャルの 「インドの衝撃(1)わき上がる頭脳パワー」を見た。今年に入ってインドのIT勃興特集ものを見るのは3度目だ。一つはNHKのBS、もう一つはTBS、そして今日だ。どれもインフォシスを代表とするIT企業の躍進とインド工科大学などのインドITトップエリートたちについてがメインだ。
ただ、BSの特集では、その中に潜む影の部分、カースト制度の残滓や貧困層についてより詳細に対比的に突っ込まれていて興味深かった。つまり、インフォシスを中心した極めて高度な技術を持つ企業が、アメリカの大企業の仕事を現地にいながらどんどん受注していく、という一方で、インドのかなりの人数を占める農民層は、グローバリズムの余波によって世界の穀物と戦わなければならない羽目になり、より貧困さが増してしまっているという構図が出来上がっており、超格差社会が生まれているわけだ。
「フラット化する世界」ではまさに世界の仕事環境の条件がフラット化し、仕事が優秀なインド企業に流れていく現象が描かれていたようだが、日本はそのなかで置いてけぼりになっている。もちろん、英語が通じない日本語環境が最大の理由だろう。

しかし、インド社会のようにグローバリズムを何のフィルタリグもなしに受けてしまうと、恩恵とともに困難も引き受けてしまうことになる。逆に言えば、日本の場合は、日本語環境が言語的防波堤になっていると言えるのかもしれない。

日本は、世界のフラット化に対して、大きな壁となっているのだろうか。まさにそれは建国以来、侵略を免れてきた島国の日本を連想させて興味深い。