[美術]反芸術アンパン

 ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ、ハイレッド・センターなど伝説的アート集団の渦中にいた著者が、戦後現代美術の主戦場だった読売アンデパンダン展で起こったさまざまな出来事を解説図付で回述したエッセイ集。
 美術評論家だけでははなく、村上隆など90年代の若手現代美術作家に多大な影響を与えた。

 赤瀬川原平は、60年代半ばには現代美術の現場からは遠のくが、多彩な才能で現代美術的なセンスを様々な場所で発揮した。
 特に後に芥川賞を受賞するほどの類稀なる文筆力と画力によって記述された「アンパン」は、切迫した状況の中のコミカルさが生々しく伝わってくる。
 60年代の現代美術は、赤瀬川の内面を通じて「発見」され今まで伝えられてきたと言えるだろう。それも、評論家的な立場ではなく、作家としての描かれた内面や状況が、今なお読み手をわくわくさせる。

 当時、「悪い場所」である日本で、お金にならない現代美術になぜそこまで夢中になれたのか。60年代安保や全共闘などの動きとパラレルに、反資本、反権威、反社会的なモチベーションに若者が強く駆られた時代だったと言える。
 その後、赤瀬川は、自分と同じような梱包の手法を拡大しながら続けているクリストの存在を後に知り、現代美術がお金になるヨーロッパの良さといつまでも同じ手法を続けなければならないむなしさの両方を感じることになる。

 今なお資本主義化されていない日本の現代美術の中で、アクチュアルな輝きを失っていない本である。

反芸術アンパン (ちくま文庫)

反芸術アンパン (ちくま文庫)

 ちなみに言うと、60年代後半から登場する貸画廊はアンデパンダン展に起源を持っていると思われる。日本における貸画廊の功罪は90年代にずいぶん語られ、2000年代になると急速になくなっていったが、そもそも戦後は現代美術の表現の場がほとんどなく、誰でも出品料を払えば、無審査で展示できるアンデパンダンがその受け皿になった歴史がある。その後、アンデパンダン展がなくなり、その代替の場として貸画廊のシステムが作られていった。
 欧米には貸画廊はない、というのはよく言われることだが、マーケットが存在しなかった過渡期の日本的な事情によるものだった。
 その後、企業メセナによるアワードが80年代後半からたくさん出来たことで、若手の目標はアワードへの出品と受賞に変わっていく。
 現在、企業メセナはほとんどなくなったが、コマーシャル画廊の発達により、グローバルマーケットへ日本人作家が売れる時代になり、新しい時代を迎えつつある。