工場という農場

 新幹線でうとうとしながら途中途中外を見ると、工場が多いな、と感じる。それを見て、ああ、日本の美しい田園風景はいずこで見られるものか、と思うわけだが、特に戦後、日本の風景は工場が覆い、工場こそが新たな職場になっていった。かつての田園風景とは、農業をするための雇用の場であり、それが工場に移行しただけに過ぎないわけである。
 だから、工場が多い風景を見て嘆き、田園風景を見て喜ぶというのは、表面的なことに過ぎず、どちらも人工的であることに変わりはない。

 そうやって農業から工場へ皆働き場所を変えたわけだが、90年代以降は、低賃金の中国や東南アジアに工場が移っていった。農場との決定的な違いはまさに地に足がついていない、ということだろう。

 工場での労働者は雇用調整されているようだが、そうなったときにどこに戻ればいいのだろうか?地に足がついた新しい農場が生まれないものかと思わずにいられない。

 いったん始まった都市流入は農村に逆流しないわけで、改めて、ハワードの田園都市論の必要性を感じる。

明日の田園都市 (SD選書 28)

明日の田園都市 (SD選書 28)