メディアとアート
現在、近代のあらゆるメディアの経営基盤やビジネスモデルが変革期を迎えている。基本的には、広告を中心とした収益モデルが、現在のマーケットサイズと合わなくなってきているのだ。
そして、消費者に効率的に情報を告知したいクライアントと、一方でこちらも効率的に情報を収集したいユーザと乖離が生まれているのだ。効率的とは、お互いに、無料も含めた安価で、という意味合いもある。
お互いがにらめっこしている状態で、どちらもお金を出さないからその上に、メディアがのるわけがない。
本来なら、そんなことは起こりえなかったわけだが、それはやはりインターネットという、一部無償のようなメディアが登場したからに他ならない。
かつて、リトグラフなどによるポスターはメディアとして機能していたが、写真や写真雑誌ができたことによって、その地位を失った。そして、今ではアートの一様式になっている。過去のメディアは、時代が変わるとアートになる、という図式がある。
例えば、今ではフィルム写真は、すでにアートになりかけている。ついには、ポラロイドカメラは販売をやめてしまった。
レコードなどはすでにアートとしての価値がある。DJなどは、まさにアーティストであると言ってもよい。
しかし、そうして希少価値になった瞬間に、それがアートとしてのオーラ(アウラ)をまといだすという不思議な現象がある。複製芸術にもオーラはあるのだ。これから、新聞、雑誌、本、テレビは皆アートになる可能性は高い。
逆に言えば、凝った造本やビジュアル、部数の限定など、アートしての価値を見出す方向性と、単なる情報としてPDFなどの電子フォーマットで販売されるケースと二分していくように思える。
ユーザの嗜好が、マスという巨大なボリュームとして扱えなくなった時代において、複雑に細分化されたコンテンツを、ニーズにあわせて販売していくという方向になっていくのだろう。その形は、工場から家内制手工業に戻るようなものになるのだろうか。
- 作者: ヴァルターベンヤミン,佐々木基一
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