メディア産業の行方

 今まで脱線して、アートの定義について考察してきたが、メディア産業自体は結局どうなるのか。
インターネットのサービスが広がりはじめた2005年以降、マスメディアの凋落は一段と激しくなってきた。
もちろん、決定打になったのは、今回の不況によって、広告収益が落ちたからである。

 しかしながら、消費者の視点から言えば、代替となるウェブサービスが多いため、誰も困っていないというのが現状だろう。
テレビ、新聞、雑誌、本、CDがなくなっても、かつてほど、皆困るわけではない。
 
 また、消費者の嗜好性が千差万別になったため、マスメディアが対象とするボリュームゾーンがほとんどなくなってしまったのも大きい。誰もブランドなどを気にしなくなっている。そうなると、マスメディアでクライアントが訴求できるターゲットの母数は限られてしまう。現状の広告費では費用対効果が合わないだろう。

 ほとんどの人は、安くて品質が良ければいいわけである。だから、プライベートブランドが盛んになり、ユニクロが流行るわけである。ユニクロは、安価、高品質、多品種というユーザのニーズをいち早く吸い上げた。
 安価で高品質でも、制服みたいに皆が同じ服を着るのを消費者は嫌がる。しかし、多品種でカラーバリーションが多いため、コーディネーションすれば重なることはない。

 かつて、松下電器ダイエーとの、価格決定権を巡る争いがあったが、結局のところ、その時代くらいから、メーカーから流通に価格決定権が移行していった。今や家電量販店に見られるように、定価などあってないようなものだ。
 スーパーもまた同じである。PBは実質的に、内情はメーカーの正規品を、低価格にする作業に他ならない。

 メディア産業は、そのような価格決定権が、上流から下流へと移っていっている現状に一番対応が遅れていると言えるだろう。本、新聞、雑誌の価格は、再版制維持制度もあって、安売りができない。しかし、結局のところ、ブックオフなどによって安く買われることで、本屋はその利益を取り損なっているのだ。
 
 家電が安くなり、日常品が安くなりしているのに、メディアが安くならないのはあまりにアンバランスだろう。安くならなければ買わないだけで、マーケットは縮小していくのみである。
 ユーザーが購入しても良い価格帯と、コンテンツの価格帯は明らかなずれを起こしはじめている。

 メディア産業は、歴史が古く、組織体制を変えるのは相当に難しいのはわかるが、一番改革が遅れている業界であることを自覚し、マーケットサイズや嗜好に適したコンテンツと価格とメディアを選んで、大きく舵をきらないといけない時期に来ているのは間違いない。