イチローという奇跡
まあ、昨日はこの話題で皆盛り上がっていたわけだが、常人ではない彼のことについて書くのはおこがましいが、彼のとんでもない精神力はおいておいて、その技術的探究心もほとほと感心する。
野球をやっているものは素振りを習うとき、必ず打ち下ろすように言われる。しかし、彼のフォームを見ればわかるように、まったく逆で、ゴルフのスウィングのように、下からすくいあげるような素振りを行っている。
野球の常識から見れば、ま逆のことなわけだが、彼からするとしごく理論的に正しいことをしているとのことだ。つまり、打ち下ろすようなスウィングを行うとそれだけ、ボールをとらえる角度が狭く短くなってしまう。
すくい上げるようなスウィングをすると、ボールを打てる距離が長くそして広くなる。
様々に変化する球に対応しやすい体勢に軌道修正しやすくなるのだ。
例えるならば、写真で言うところの被写界深度と、画角みたいなものだろう。写真の場合は、絞りを大きくすると、ピントがあう距離が短く、長いレンズを使うと画角が狭くなる。逆に、絞りを最大に絞り、短いレンズを使うと、角度が広くすべてにピントが合う、という写真ができる。
イチローのバッティングはまさにそうであり、内角、外角、高め、低めのすべての角度をフォローでき、変化する球でもピントを合わすことができる。
しかも、抜群のバットコントールで、ま芯ではなく、ラケットのようにバットの端から付け根近くまで使うことができる。
つまっても、守備が守っていないゾーンに落とせば、高速の走りで内野安打にできる。
我々が持っている、いや、野球をしていた人であればあるほど持っていた観念を完全に覆して独自の方法を採用しているのだ。それはよっぽどの自身の方法への確信や哲学がないとできないことである。
その技術や新しい発見の連続を行っているからこそ、年を重ねても衰えず、さらに、常識やぶりの結果を残していけるのだろう。精神力はその強烈な求道心の後についてきているものだろう。
よくテレビでみかける一見、ウエイトトレーニングのような、初動負荷マシーンも、筋肉を太くするものではない。柔らかくするための機械である。体の連動性、筋肉の柔らかさ、しなやかさを保つトレーニングについても日々試行錯誤しているのである。
あのような、いかに皆が持っている観念から自由になれるか、日々実践している人は世界でも数少ないだろう。特に、日本のような規範の強い国に生まれ、それをやり続けているイチローは、まあ、凄いと偉大とかそいうう単純な言葉では言い表せない。
彼は、インタビューでようやく人との競争から自由になれた、と言っていたが、まさに、彼は常に自分と向き合い、自由になるための戦いをしているのである。