80年代の空気

村上春樹のインタビューが出ていて、浅田彰に律儀にも連絡をした、というのに驚いた。そもそも同時代に活躍した2人は面識があったのだろうか?村上龍とは、坂本龍一との対談本、EVcafeなどにも出ているので当然面識はあるが、村上春樹浅田彰というのは接点があったことを僕は知らない。*1

 僕らの世代は、80年代は青春というよりも、物心が付き始めた時代なので、すべて後追い的に知っていったので、同時代的なディテールはわからない。
 ただ、新人類やニューアカデミズムの影響を受けた最後の世代だという気は前々からしていた。

 ニューアカデミズムと言われる、フランスの現代思想家をチャート式に紹介した、という「構造と力」や、チベット密教の僧侶の弟子になって、文化人類学的な介入から踏み込んで内部感覚を現代思想の言葉を借りながら描写した「チベットモーツアルト」など、どちらもよくわからないまま、とにかく凄いものだということで、図書館で借りて読んでみたりしたわけだけど、結局明確に咀嚼できないまま雰囲気だけを味わったに過ぎない。

 ただ、古い学問の体系を解体するような新しいムーブメントの空気は、僕らが学生時代を過ごした90年代初期にはまだ流れていたような気がする。しかし、それはその大きなうねりが過ぎた後の、残り香のようなものだった。ただ、浅田彰は、その頃からテクノロジーのもたらす未来像の提言やオーガナイズ、批評雑誌の出版、磯崎新と組んで建築家のディスカッションをかせねていて、その影響力はまだまだ強かった。
 中沢新一は、コンスタントに著書を発表していたが、95年のオウム事件を境に、彼らの思想にかなり影響を与え、かつ、肯定的に捉えていた言動もしていたことから批判されるが、それにもめげずに、著書は出し続け、今は多摩美の教員となって、芸術の可能性について研究している。
 浅田彰も長年、飼い殺しのようになっていた京都大学をやめ、京都造形芸術大学の大学院の院長となっているようだ。

 一方、浅田彰の盟友である、田中康夫氏は、長野県知事から、現在は新党日本の代表となって政治活動を活発にしている。村上龍は、政治よりも経済方面で積極的に発言していることは有名だ。

 80年代のど真ん中に青春を過ごした人は、彼らの変遷をどのように見ているのかはよくわからないが、ニューアカデミズムの2人をのぞいて、ポストモダン的な虚像との戯れ路線ではなく、村上春樹のように社会へのコミットメントを強めているように思う。
 もちろん、浅田彰中沢新一もその前に充分社会とコミットしていたから、若干反動で発言を控えているところはあるだろう。

 なんとなくクリスタルな田中康夫や、お洒落でシュールな文学を書いていた村上春樹が、ここまで現実と向き合うようになるとは、その頃誰が想像しただろう?

構造と力―記号論を超えて

構造と力―記号論を超えて

*1:と思っていたら、やはり浅田彰村上春樹をぼろくそに書いていた。だから面識があっても親しいものではないだろう。浅田彰がなぜ田中康夫を評価するのかはわからないけれど。http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200308/