競技武道の歴史
先週、情熱大陸で日本剣道界のエース・寺本将司をドキュメントしていた。少し前にも、違う剣道家のドキュメンタリーがあったがどこの番組か忘れた。
先日紹介した講道館柔道をはじめ、剣道もまた近代において幾つかの流派の中から、北辰一刀流をベースに統合された近代武道の一つである。
北辰一刀流は、早くから防具による試合形式を確立させており、それが発展したのが、現代の剣道になる。
情熱大陸では、世界の剣道大会で日本が、昨年連続優勝から破れ、今年、全国剣道大会一位の方を中心に、奪還できるかをドキュメントしていた。
ここで、日本の精神性を示すのに、どうしても勝たなければならないと言われていた。
以前、柔道でも、国際的にこれだけ広がったために、ソ連のサンボやレスリングの技が取り入れられ、柔道からJUDOになってしまっており、オリンピックで日本勢も毎回苦しい戦いを強いられているが、勝つことで日本の精神性を示すと言われていたような気がする。
競技武道となって、様々な技の方法が開示された時点で、柔よく剛を制す、体が小さくても巨大な相手に勝てる、というロジックがあまり働かなくなり、体が大きくて、筋肉の発達したものが勝つという、他のスポーツと変わらなくなってしまっているところが、近代武道の悩ましいところだろう。
剣道においても、3年に一度の世界大会で前回、韓国に負けたり、体格や体力のある海外選手に押されるケースが多くなっている。
競技武道になり、技が体系化され、誰でもが練習をつめば、同じようなことができるようになると、体格差がポイントになってきてしまう。
かつては、様々な流派があり、相手がどうのような攻撃をしてくるか読めない、というところが体格差を無化していたところが大きいだろう。
近代化し、国際的に普及した分、かえって精神性の高さではなく、体格差がクローズアップされるようになるのは皮肉なことだと言える。
特に、柔道も剣道も、危険な技をすべて封印しているから、余計に体格差を無化することは難しい。
現在、柔道や剣道以前の古流が再びクローズアップされるのも、武道の原点回帰だと言えるかもしれない。