雑誌の愉しみ

 先日、ソロモン流で現在マガジンハウスのHanakoの編集長を特集していた。この方は、数年前まで関西のHanako WESTの編集長をされていた関西出身の方だ。マガジンハウスは、「アンアン」など70年代から若者向けの雑誌文化を作ってきた会社で、新しい若者のムーブメントをいち早くとりいれて、雑誌文化を牽引し続けてきた。

 この雑誌不況にあっても、マガジンハウスの雑誌は比較的堅調だったが、それでも、一時よりは部数は落ち、若者カルチャーの情報網自体がインターネットや携帯電話に移行してきた時流に抗えなくなってきていた。
 その中で、Hanakoをリニューアルし、雑誌の販売を2倍に増やしたというから、凄い手腕であることは間違いない。
 
 関西出身で子供の頃から雑誌作りに憧れてきて、メーカー勤務、フリーライターを経てマガジンハウスに入社した編集長は、実は創業者の孫で、同族者の採用を認めていなかったため、はじめらマガジンハウスに入ることはしていなかった。
 幼少期から、家に送られてくるマガジンハウスの雑誌を見て育ち、少年がマンガ雑誌を遊びで作るように、雑誌作りの真似事をしていたとうから筋金入りである。

 毎晩、12時過ぎの終電に乗り帰宅する毎日だから、相当ハードなはずだが、雑誌作りというのはいかに愉しいのかというのが伝わってくる。愉しくなければ、こんな1日の大半を費やす、仕事をずっと続けられるわけがない。雑誌は定期的に出し続けなければならないのだ。
 
 街を取材する、雑誌を作る、街や読者からのレスポンスがある、この雑誌の愉しみの基本に忠実にやっているからこそ、読者に有益で面白い雑誌になったのだろう。いつしか雑誌は、広告主だけをみて、読者が不在になっていったが、基本に忠実にすれば、まだまだ可能性はあるのだということを見せた例だと思う。ただ、それには相当の情熱が必要だが。

 関西のマガジンハウスは、この類稀なる才能が流出して、撤退することになって残念なことだ。出版やメディア関係者は極めて関西出身者が多いのだが、地方といえども関西でまったく出版社が不在になっていく、というのは残念だし、そこまで需要がないのだろうかと思ってしまう。

 若者向けのメディア、若者が立ち上げるメディアというのはこれからどうなっていくのだろうか?インターネットやブログやSNSがそれらを補完するには、まだ時間がかかるような気がするのは、雑誌の幻想を引きずっているからだろうか?