ものづくりとおもてなし

 日本の製造業がグローバル化の中で、かつての栄光が過去のものになりつつあることを皆が感じ始めている。日本は、たしかに、戦後、自動車や家電などで、世界を席捲した。
 僕らの幼少期の頃は、日本は世界一だと言われ、日本が世界で一番良い国だと信じて疑わなかった。


 そもそも日本のものづくりに対する異常な情熱は、日本の神経質なほどの気の細かさと手の器用さ、そして、ものにたましいを込めるという、ものに神を宿すという依代の発想から来た日本の伝統的精神風土によるものである。そんな国民は、どこを探してもいないだろう。


 トヨタが世界を席捲した「改善」や「ジャスト・イン・タイム」も、この日本の民族的特質に強く依存した形だったことが、今回改めて証明された。
 現地化は、その国の雇用と信頼を勝ち得るためにも必要であることは間違いない。しかし、仕様をどこまで細かく固めて発注したとしても、日本人の持つ心配りがないと、絵に描いた餅に過ぎない。ブレーキの構造だって、日本製のものだと今回のような誤動作は起きない。
 我々は、そのような「わかってくれるだろう」という暗黙知の世界観の中で生きているのだ。

 アナログな時代で、海外に工場拠点が少ない頃は、この優れて同質性の高い国で、低賃金の優秀な工員がいたので、世界に安価で高品質なものを提供できたが、グローバル化したときには、別な形の品質管理の手法を考案する必要がある。日本人を前提にした品質管理のシステムを、輸出しても工員が異なるので、適用できないのだ。


 しかし、日本のような言挙げしない国では、言語を中心とした品質管理の体制を作るのは容易ではない。気が利くという、第六感を持っているために、鈍い人たちにわからせる方法を持っていないのだ。


 もう一つは、本社機能への権限集中である。日本では、だいたい派遣部隊の権限は限られている。そのために、海外の拠点でも、大きな政策決定は、本社でまで持ちかえららないといけないため、政策決定の判断が遅れることと、現場から遠いために、判断を間違えるという2つのリスクを持っている。


 このように、世界各地の拠点ができたときに、それを本社ですべての政策を決定するのは不可能である。これもまた、日本の封建的制度の残余的なものであり、グローバル化には向いていない。


 一方、おもてなし、というのも、海外から見れば驚異的なサービス精神であることは間違いない。これもまた、気が利くということが前提になっている。


 我々の持つ、ものづくりとおもてなし、という二つの大きな武器は、言語化グローバル化が極めて難しいという欠点もあわせもっているのである。


 この特性がすぐに変わるということは考えにくい。それだけに、この世界の中で珍しい特性を活かしていくかということと、グローバルの中で、別な方法を模索する、ということを考えざるを得ないのではないか。