美大卒

Y君の美大卒の学歴の役立たなさについては僕らの間で何度もやりとりされた内容だが感慨深いものがある。また、その役立たなさも、短期的なことであって、長期的には役立っているということだ。
そのとおりだと思う。

最近、めっきり現代美術を目指す人間がいなくなったな、とこの前話ばかりだが、この不況下に、武士は食わねど高楊枝で、「(自称)アーティスト」であるというプライドのみの虚飾の世界にあこがれるやつはまあいない。

1965年生まれのヤノベケンジの世代をもって、日本の現代美術というジャンルは、一区切りしたと言っていいだろう。
すでに、アートの国際マーケットも開かれているわけだし、日本というくくりで考える必要はまったくないし、そもそも日本には最初から最後までマーケットがほとんど開拓されなかったと言ってよいだろう。

その原因として、岡本太郎が、作品を売らなかったものだから、基準が生まれなかったというのが結構大きいのではないかと僕はふんでいる。

アンデパンダン展の残滓だった貸画廊といういびつな制度は、バブルの崩壊を機に廃れていき、その余波でアワードも廃れていった。

その後の僕らは、結局、新しいジャンルのコンピュータに活路を見出したわけだが、案外、コンピュータサイエンスの人間でアートを深く知っている人間は少なく、その逆もまた少ないわけで、Y君などは貴重なポジションにいると思う。

どちらにせよ、これからは一つの専門分野だけはなく、その横断的な知にこそ価値があるわけで、彼の得た道が両方活きることになったのも、そのようなジャンルをまたがった複眼的な思考の希少価値によるものなのだ。

だから、一度中断した道を次の道で活かしたいならば、そのような横断的な思考をも持ち続けることが重要なのではないかと思う。

ヤノベケンジ1969‐2005

ヤノベケンジ1969‐2005

芸術起業論

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