ハラをなくした日本人

 昨今の政治家はハラが座っていないと言われる。先日、管直人首相を表敬訪問した白鵬関に「腰を落ちつけて」と政策に取り組んで欲しい、とアドバイスを受けていたのは象徴的であろう。
 このようなハラや腰と言った身体の部位を使った比喩表現は日本語の中に極めて多い。それは、はたした単なる比喩なのか、精神力を表す言葉になぜここまで、身体の部位を表す言葉が多いのか、日本人の身体意識を、言葉や動きの中から解明した本である。
 著者は、身体意識をキーワードに、心身の動きを解明している運動科学者であるが、近年は身体意識の活性化のために、体をゆるめることが不可欠であるとし、ゆる体操というものを提唱し、様々なアスリートや一般の方への普及に力を注いでいる。
 しかし、本来の問題意識やテーマが明確にわかる本としては、本著がよいのではないかと思う。著書は身体意識を活性化させるためのディレクト・システムなどを考案し発展させていくが、この時点ではまだまだシンプルなものだ。ディレクト・システムとは、体の中に存在する志向性を持った身体意識のことである。
 誰もが、昨今流行になっている、幕末の志士や日清日露の英雄達と比べて、現代人の精神力や運動能力が落ちているのではないかと薄々感ずいてたが、従来、無意識や反射に属する部分を身体意識というキーワードで抜き出し、その発達が、精神力や運動能力と明らかな相関関係があることを明らかにしている。
 日本の疲弊や衰退が叫ばれているが、かつて日常生活の中で自然に鍛えられていた身体意識を失ったのが、大きな原因になっていることに気付かされる。本書が出てから20年近く経つが、その状況はさらにリアリティをもって感じられるだろう。
 この観点から見ると、日本の思想の多くが深い身体意識に根ざしていると同時に、読み手もその身体意識を共有していないとわからないのではないかと思われる。つまり、現代人のひ弱な身体意識では、過去の日本人の文化力についてまったくわからないということなのである。
 ヘリゲルの「弓と禅」などにも出てくる達人達の身体意識を、どのように取り戻すかが実は政治力や経済力など、日本人の力を真に引き出す大きな課題であるのだろう。


ハラをなくした日本人

ハラをなくした日本人