お釈迦様が説いた最高の知恵「般若」の話

なあ、舎利子。お前はたしかに頭がいい。
だけど、私からしたら、まだまだ自分のことしか考えてないように思える。それでは最高の知恵には到達できない。
観音は一生懸命、勉強しているけど、自分のためにやっているんじゃない。人のためになろうと思って勉強しているんだ。人を助けるためには幾つかの勉強をしなければならない。
なかでも、観音が求めていたのは人を助けるための最高の知恵「般若」なんだよ。最高の知恵は人のためにしか得られないものだ。
そんな観音が最高の知恵「般若」を求めて勉強していたときのことだ。
観音はふと気付いたんだ。世の中に確かなものなど何もない「空っぽ」で「空虚」なものだということに。それで、自分の苦しみからも解放された。
舎利子、それがどういうことかわかるかい?
普通、誰しも人間の肉体は確かなものだって思うだろう?
でも、肉体さえ不確かなものだ。
肉体からの感触も、それから得られる認識や意識や無意識もそうだ。
それだけではない。この世のすべての存在は、みんな空っぽだという特性をもっている。生まれないし滅びない。汚くもないしきよらかでもない。増えることもないし減ることもないんだ。
空っぽであるから、肉体も感覚も認識も意識も無意識もないんだ。
当然、眼も耳も鼻も舌も肌もなければ、声も香りも味も肌触りもない。それよりもたらされる認識もなければそれらの認識によって成り立っている世界もないんだ。
そもそも世界が空っぽならば、迷いの世界に陥ることもないし、迷いから抜け出そうとすることもない。老いたり死んだりすることを苦しんだりすることもなければ、その苦しみから逃れようとすることもない。
それらの苦しみがないかなら、それらの苦しみをなくす方法もないし、その方法を知ることもない。
世界が「空っぽ」だと気付くことによって、人を助けようとする人は、最高の知恵「般若」を得て、心をさえぎるものがなくなった。心にさえぎるものがないので、怖がることは何もなくなった。
すべての誤った幻想から離れて、安らかな境地に達した。
過去、現在、未来にわたり、私を含めて人を助けようとする人は、皆、最高の知恵「般若」によって、どんなことがあっても動じない素晴らしい悟りの境地に達したんだよ。
なあ、舎利子よ。だからもし最高の知恵を得たかったら、「般若」を学びなさい。ただし、「般若」は理屈で捉えられるものじゃない。直観でしか得られないものだ。
だから、すべての苦しみを除くことができる、この神々しく、明らかで、比類なき、最高の呪文を唱えなさい。
「ギャティ ギャティ ハラギャティ ハラソウギャティ ボジ ソワカ
(行こう、行こう、素晴らしい悟りの境地に 求めるものよ、幸あれ)


僕もやってみたけど、般若心経は、現代訳をしたらこんな感じかなぁ。