爆笑問題のニッポンの教養スペシャル「表現力!爆笑問題×東京藝術大学」

 このシリーズを見たのは、早稲田、京大くらいで、それも全部見てないけど、今日の放送はなかなか面白かった。
 おそらく、芸術大学ということで、同じ表現者という土俵なので、爆笑問題にとって、いつもの太田光のアンチテーゼがかみあいやすかったということはあるだろう。

 太田光はいつも、商業と大衆という視点から、大学教授を追い詰め、またほとんどの場合、それは功を奏してたいていは先生陣を閉口させてしまうわけだが、いつもはアカデミックな基礎研究の人々と論理がかみ合わず、また、今日も伝統芸術系の人とは論理がかみあわないという感じだった。

 そもそも、基礎研究をしている先生も、伝統芸術をしている先生も、太田光のように、多くの人に素早く伝えたいと思っているわけではない。どちらかと言うと、自身の中の達成感や満足度のような内側に向いている傾向が強いのだ。

 太田光は、多くの人に素早く伝えることが最上としている、ところがあって、伝えたいことも非常にせっぱつまった時事の問題が多いわけで、すべて自分の外側に意識が向いているのだ。
 彼はそれが、テレビ、ラジオのような、マスメディアが作った価値観であり、それに猛烈にとらわれていることに気づいているか、いないかはわからないが、その切迫感で相手に向かう。
 しかしながら、テレビというような、もっとも消費が早いようなところでやっている人間のリアリティは誰もが感じれるわけではない。

 太田光も尊敬しているであろう、ビートたけしが、なぜ映画や絵画のような、テレビではない芸術作品を作るのか考えた方がいいだろうし、ビートたけし東京芸大の先生なのだから、番組もできれば、テレビと映画芸術とをまたにかけるビートたけしも出演させてほしかったところだ。

 ビートたけしが、あれだけテレビ番組に一線でいられるかは、映画や絵画などの、他の芸術表現の二つの方向性の表現手段を持っているからであり、また、タモリに関しても、ジャズや坂道などの考現学的考察など、テレビとは異なる表現手段を大事にしているからである。

 太田光の切迫感は、たけしやタモリのような、芸術や趣味などのなさ、大衆だけを焦点にしていることから来ているように思えてしまう。彼が伝えたいとしている大衆である視聴者も、見ていて息苦しくなるときがある。お笑いが視聴者を追い詰める気分にするのはあまりいいことではないだろう。

 大学の先生も一流ではないと、商業主義の一線でやっている太田光のパワーに力負けしてしまうが、商業主義にも耐え、芸術的にも評価される安藤忠雄クラスが出てくると、難しいだろう。
 太田光の問題意識は、十分、視聴者に伝わっているわけなので、是非、もっと格上の人と討論し、お笑いに反映させるか、あるいは、たけしやタモリのように、別な表現手段を見つけるかしてほしいところだ。

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