佐野元春のザ・ソングライターズ スガシカオ

 さっき原稿をかなり書いて、何かの拍子に戻るボタンを押してしまったら、原稿が消えてしまった。Gmailではちゃんと定期的にバックアップされるのでそんな事故でも大丈夫なのだが、はてなにも対応してほしいところだ。

 さて、気をとりなおして、はじめてこの番組を途中からながらちゃんと見て面白かったという話。気にはなっていたけど、なぜかスルーしていた。スガシカオは1枚しかアルバムを持っていないけど好きなアーティストだったので興味を持って見ることができた。

 佐野元春は、僕らよりも少し前の世代のアーティストだけれど、大学時代の友人がやたらと好きで、部屋に行くと必ず佐野元春がかかっていたし、佐野元春のラジオがとても面白いことを強調していたので、少しはアルバムを聞いている。あの独特なしゃべり方を受け付けない人もいると思うけど、まあ、嫌な感じは受けない。
 佐野元春は、ビートの詩人達が好きで、インタビュー集なんかも作っていたと思うけど、詞や曲の作り方も凝っているしインテリだなと思う。まあ、僕らなんかは、その辺は知ったかぶりで、カラオケで『SOMEDAY』を熱唱するのが落ちだったのだけれど。

 そういう、非常にシンガーソングライターとして自覚的な人が、いろんなタイプのシンガーソングライターをインタビューするのは面白いし、インテリの佐野元春だからこそ聞ける質問も数多くあったように思う。

 スガシカオは、日本では珍しいファンクをベースに作る人で、裏打ちの乾いたファンクビートに、叙情的な日本の詞が乗るギャップが面白いと思う。叙情的といっても情念のようなものではなく、透明感のあるようなものだ。
 本人も公言しているらしいが、村上春樹のすごい影響を受けているのも納得が行く。村上春樹もジャズ喫茶をしていたくらい音楽の造詣が深いし、小説の中には音楽が流れてるような印象も受ける。その辺が共通した感性があるのだろう。 

 日本のポップソングは、結局、ロックにせよ、ブルースにせよ、ファンクにせよ、ヒップホップにせよ、レゲエにせよ、いかに英語という言語が前提で作られた音楽に、日本語をうまくのせるか、ということが課題だった。
 母音と子音がセットで1文字では意味がほとんど作れない日本語をのせるのに、皆苦労し、はじめは違和感があったのだか次第にうまいやり方を見つける人が出てくるという歴史の繰り返しだったように思う。

 ファンクは、珍しいと思うが、はっぴいえんど時代の細野晴臣近田春夫なんかは先例なのだろう。近田春夫も天才だってことを、散々別の友人に語られて知ってるくらいなので深いところまでは知らないけれど。

 スガシカオの曲の作り方で面白かったのは、裏打ちのところに、強い言葉を乗せることで、グルーヴ感を出すというところだった。今までの日本の曲は、だいたい表に強い言葉をのせるので音が単調になっていたのを、ファンクの特徴である裏打ちのところに、言葉を持ってくることで、独特な雰囲気を出していたということらしい。

 音楽におけるジャパナイズということになるのかもしれないけれど、これが世界的に通用するものになる可能性も、村上春樹のことを考えるとゼロでもないだろなと思ったりはする。
 まあ、それを果たした日本人は、あまりいないし、今挑戦しているのは、宇多田ヒカルくらいなものだけど。
 アニメなどによる日本語ブームの影響もあるし、ひょんな機会で、日本のソングライターズが評価される日が来るかもしれないなと思う。

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